アルゼンチンの至宝マスタントゥオーノのルーツをたどる
フィオレンティーナは、レアル・マドリーからフランコ・マスタントゥオーノをレンタルで獲得することが決定的になった。
2025年夏に、レアル・マドリーが総額6000万ユーロを超えるとも言われる移籍金を支払ってまで獲得したアルゼンチンの神童は、なぜ、2025/26シーズンのセリエAで15位と苦しんだフィオレンティーナへの武者修行を選んだのだろうか。
理由は、継続的な出場機会の確保だけではない。イタリアとの縁も、この移籍を語るうえで欠かせない。『スポルトメディアセット』が、マスタントゥオーノのルーツを伝えている。
17年周期で才能を生む町アスルと、テニスからの転向
ブエノスアイレス州にある人口6万人未満の街、アスル。首都から約300キロメートル離れ、パタゴニアまで続く国道3号線が通る。観光地として名は知られていないが、この街には奇妙なジンクスがある。17年ごとに、傑出したスポーツ選手を送り出してきたのだ。
1973年12月には、のちにラツィオやパルマ、インテルなどで活躍したマティアス・アルメイダが誕生。その17年後の1990年10月には、2016年のデビスカップで優勝を果たしたテニス選手のフェデリコ・デルボニスが生まれた。さらにその17年後の2007年8月14日、フランコ・マスタントゥオーノが産声を上げた。
偉大な同郷人であるデルボニスの影響もあり、アスルの多くの子どもたちと同様に、マスタントゥオーノも最初はテニスの道を歩み、有望な才能を見せていた。
しかし、彼の左足は、黄色いボールを追いかけるよりもサッカーボールを蹴ることに長けていた。思春期を迎える頃にサッカーへの専念を決断すると、リーベル・プレートの入団テストに合格。クラブ史上3番目の若さでトップデビューを飾る。そして、宿敵ボカ・ジュニオルス戦で決めた見事なフリーキックがアルゼンチン中にその名を知らしめ、リオネル・メッシの名が引き合いに出されるほどの衝撃を与えた。
レアル・マドリーでの壁と失われぬポテンシャル
アルゼンチンでの活躍を受け、マスタントゥオーノを巡るヨーロッパビッグクラブの争奪戦は激化した。ミランも投資の準備を進めていたとされるが、レアル・マドリーがボーナスを含めて総額6300万ユーロをリーベルに支払う形で決着をつけた。2025年6月に公式発表され、6年契約を結んでスペインへと渡った。
しかし、スペインでの最初のシーズンは苦しかった。
桁違いの競争にさらされ、相手の厳しいマークを受け、異国の環境にも適応しなければならない。結局、レアル・マドリーでの定位置確保には至らなかった。2025/26シーズンは公式戦35試合に出場したものの、ラ・リーガでは23試合(先発11試合)で1ゴール、UEFAチャンピオンズリーグでは8試合(先発4試合)で1ゴールと、期待されたような数字は残せなかった。
とはいえ、欧州での1年目が前評判に見合わなかったことは、彼のポテンシャルを損なうものではない。いま必要なのは、まずピッチ上で自信を取り戻すことだ。
曽祖父の故郷、リパカンディダ
マスタントゥオーノがイタリアでの再起を図る背景には、彼のイタリアの血筋がある。
両親ともにイタリア系だが、とりわけ父親側の繋がりが強い。曽祖父は、南イタリア・バジリカータ州のポテンツァ県にある人口約1500人の小さな村、リパカンディダの出身である。
ヴルトゥレ山の麓に位置するこのルカニア地方は、上質なアリアニコ(ブドウの品種)ワインが生産される農業地帯だ。現地ではマスタントゥオーノという姓が広く見られ、彼の最初のコーチでもあった父クリスティアンは、今でも現地の親族たちと連絡を取り合っているという。社会学の学位を持つ母の名もソフィア・ブルーノであり、ルーツは完全にイタリアにある。
これまで本人がイタリア代表のユニフォームを着ることを考えたことはなく、2025年6月には未成年ながらアルゼンチン代表としてデビューを果たした。
しかし今、彼はフィオレンティーナのユニフォームを通じて、自らのルーツであるイタリアへと近づこうとしている。失いかけた自信をこの地で取り戻せるか。世界を驚かせた才能が再び輝くかどうかに多くの人が注目している。

