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さらば「カピターノ」――フランコ・バレージはなぜここまで愛されたのか

ACミランの寡黙なレジェンド、66歳で逝去

7月31日朝(現地時間)、ACミランは公式SNS上で背番号6の画像とともに、フランコ・バレージの死去を発表した。享年66。ミラン一筋20年、カピターノとして15年間クラブを率いた男の訃報は、瞬く間に世界中のサッカー界を悲しみで包んだ。

なぜこれほどまでに、一人のディフェンダーが愛されたのか。その答えは、ピッチ上の記録だけでなく、寡黙な背中で語った生き方の中にある。

フランコ・バレージの死去と死因――発表から8月4日の葬儀まで

ミランの公式声明は「クラブの心臓の鼓動を一つ、魂の呼吸を一つ失った」と綴り、「永遠なるバレージ」という言葉で結ばれた。

2025年8月に肺の結節切除手術を受けたことはクラブから公式に発表されているが、これが死因であるとは2026年8月1日時点で公式には明言されていない。イタリア国内の複数メディアも「長く病と闘っていた」と伝えるにとどまっている。

葬儀は8月4日午前11時、ミラノのサンタンブロージョ聖堂で執り行われる。ミラノ市はこの日を「喪に服す日」と定めた。イタリアサッカー連盟(FIGC)は、7月31日以降に行われる親善試合すべてで黙祷を捧げるよう通達した。

バレージの経歴・成績――719試合、6度のスクデット、W杯優勝

セリエA6度制覇、欧州制覇3度――圧倒的なタイトルの数々

1977年にミランのトップチームに加わったバレージは、1997年の現役引退までの20シーズンをすべてミランで過ごした。出場試合数は719試合33得点(クラブ公式記録)。1982年、22歳でカピターノに就任し、以降15年間その腕章を巻き続けた。

獲得したタイトルはセリエA優勝6回、欧州チャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)3回など計18に及ぶ。イタリア代表としても81試合に出場し、1982年FIFAワールドカップ優勝メンバーの一人となった。

1994年W杯決勝の伝説――手術25日後に見せた”人生の一戦”

カピターノとしての真価が最も語られるのが、1994年アメリカW杯だ。グループステージで右膝の半月板を損傷し手術を受けながら、わずか25日後の決勝ブラジル戦にカピターノとして復帰。現地では「人生の試合」と呼ばれるパフォーマンスを見せた。PK戦の1人目でクロスバー上に外し敗戦の一因にはなったが、その姿はむしろ伝説として語り継がれている。

カズ(三浦知良)との衝突

日本のファンにとって記憶に残るのは、1994/95シーズンの開幕戦、1994年9月4日のジェノア戦だ。

この試合は三浦知良のセリエAデビュー戦でもあった。三浦は空中戦でバレージと競り合った際に鼻骨を骨折し、ハーフタイムに病院へ搬送された。

なぜミラン一筋を貫いたのか――バレージの人柄とエピソード

バレージは1980年、82年の2度のセリエB降格を経験しながら、そのたびにミランに残ることを選んだ。ユヴェントスやインテルなどからの誘いがあったとされるが、いずれも固辞。兄ジュゼッペがカピターノを務めていたインテルからのオファーについても、「ミランは自分の家であり、移籍は裏切りになる」と考えていたという。

名将アリゴ・サッキは、2018年のインタビューでバレージについて「自分が指導した中で最も偉大なイタリア人ディフェンダーだ」と評し、「口数は多くないが、その一言の重さでロッカールームを支配した」と証言している。

引退後はユース部門の指導者を経てクラブのアンバサダーを務め、2020年10月にはミランの名誉副会長に就任。現役を退いてからもミランの象徴としてともに歩み続けた。

世界が悼んだ「カピターノ」――敵味方とわず追悼コメント

元チームメイトの言葉――マルディーニ、ガッリアーニ、バッジョ

キャプテンマークを受け継いだパオロ・マルディーニは、長文の手紙でこう綴った。

「カピターノなしでどうやっていけばいいのか。あなたは僕が子どもの頃は守ってくれ、少年時代は導いてくれ、大人になってからは勇気をくれた」

元ミランCEOのアドリアーノ・ガッリアーニは「会長(シルヴィオ・ベルルスコーニ)のもとへ逝ってしまったのだね。背番号6よ、永遠に」と短く別れを告げた。

94年W杯決勝で共にピッチに立ったロベルト・バッジョは「なんという悲しみ、なんという寂しさだ。さよなら、カピターノ」と投稿した。

ライバルたちの敬意――サネッティ、ベルゴミ、インテル、ユヴェントス

インテルの元カピターノで現副会長のハビエル・サネッティは「バンディエーラ、カピターノ、レジェンド。背番号6は永遠に不滅。良い旅を、フランコ」と追悼した。

同じく元インテル主将のジュゼッペ・ベルゴミは「サッカー界はレジェンドを失い、私は大切な友を失った」とコメント。「彼は多くを語らないが、3つの言葉でロッカールームを整えてしまう人物だった。ミラノ・コルティナ五輪の開会式で、すでに病を抱えながら『もし私が困ったら助けてくれ』と打ち明けた彼の姿に、人としての繊細さと強さを感じたよ」と好敵手とのやりとりを語った。

バレージは、他クラブからもリスペクトの対象だった。インテルは公式声明で「カピターノであり、チームプレーを重んじる男であり、ミランのバンディエーラだった」と綴った。ユヴェントスも「才能で歴史に名を刻む人がいる。そして人間性によってそこに永遠に留まる人もいる。バレージはその両方だった」と、ライバルへの敬意を表した。

ミラノ市長ジュゼッペ・サーラも「ミランのバンディエーラであるだけでなく、この街とイタリアを世界で輝かせた献身と忠誠の象徴だった」と哀悼の意を示した。

ACミランが送った最後のメッセージ

ミランは声明で、こう締めくくっている。

「我々の心臓の鼓動を一つ、魂の呼吸を一つ失ったことを伝えるのは簡単ではない。なぜならバレージは永遠なのだから」

フランコ・バレージの記憶:永遠の背番号6
ACミラン公式YouTubeチャンネル

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