「爪痕を残したい」と語る冬の新戦力
ミランは8日、セリエA第28節でレッチェと対戦し、3−2で逆転勝利を収めた。チームの連敗が3で止まったこの一戦では、冬に加入したウォーレン・ボンドが先発で出場してミランデビューを果たしている。フランス『footmercato』のインタビューで様々なテーマについて語った。
ミランでの今シーズン残りの個人的な目標は?
「僕はミランで爪痕を残したい。チャンピオンズリーグ出場権を獲得することが目標だし、ミランのようなクラブにとってトップ4に入ることは重要だからね。あと10試合残っているし、まだチャンスはある。シーズン終了までの目標として、コッパ・イタリア優勝も狙っているよ」
ミランのような伝説的なクラブに来て、一番衝撃を受けたことは?
「やっぱりトレーニングのレベルが違う。それに設備の充実ぶり、選手の管理体制も素晴らしい。すごく快適な環境が整っている。ミランでは成功するためのすべてがそろっているから、もし結果を出せなかったら、それは自分の責任だ。あとは自分のサッカーをプレーするだけでいい。クラブが最高のコンディションを整えてくれるからね」
クラブへの適応はどう進んでいる?チーム内のフランス人選手の存在は?
「みんな歓迎してくれたよ。ユスフ(・フォファナ)やラファエル(・レオン)はフランス語がすごく上手だしね。ラファエルについて言うと、実はモンツァ時代の元チームメート、ダニー・モタを通じて前からよく知っていたんだ。ダニーもフランス語を話すしね。彼といつも一緒にいたから、自然とラファエルともつながりができて、僕がミランに来たときもすごく喜んでくれた。フランス人選手たちとはすぐに打ち解けたし、食堂では最初からユスフやマイク、テオの隣に座っていたよ。彼らのおかげでスムーズに馴染めたし、毎日彼らの練習方法を見て学んでいる。本当に素晴らしい選手たちだ」
ナンシーで15歳のときにクラブ史上最年少プロ契約
「ナンシーの施設に入ったときからプロ契約を結ぶつもりではいたけど、こんなに早く実現するとは思っていなかった。最初は3年契約の(育成選手だったのに、1年でプロ契約を結ぶことになってしまって……。ちょっとプランが崩れちゃったね(笑)。U-17の全国リーグで1シーズンプレーした後、PSGからプロ契約のオファーがあったんだけど、クラブ間の交渉がまとまらなかった。それでナンシーに残ることになり、プロ契約を結んだんだ」
それがキャリアの中で最も印象的な瞬間だった?
「ひとつ選ぶなら、そうだね。子どもの頃は『プロになりたい』と思っていたけど、まさか15歳でプロ契約を結ぶとは想像もしていなかった。いつかプロになれるとは信じていたけど、こんなに早いとは思わなかったし、実際かなり驚いたよ(笑)。当時、PSGが僕にプロ契約をオファーしてきたときは、『パリ出身の自分がPSGのプロ契約をもらうなんて最高だ』と思った。でも結局、ナンシーに残ることになった。それでよかったと思っている。国外にも選択肢はあったけど、リヴァプールやマンチェスター・ユナイテッド、インテルからのオファーには応じなかった」
このポジションで参考にしている選手は?
「一番の手本はヤヤ・トゥーレだ。歴代のミッドフィルダーの中でもトップの存在だと思っている。彼は攻撃的MFではなく8番のポジションでプレーしながら、シーズン20ゴールを決めることができた。本当に別格の選手だった。それから、ポグバ、モドリッチ、カンテも好きだったし、エンドンベレが全盛期のときのプレースタイルも気に入っていたよ」
2022年にモンツァと契約した。若くしてイタリアに行くのは計画通りだった?
「正直なところ、特にキャリアの計画を立てていたわけではなかったし、イタリアでプレーするつもりもなかった。ナンシーとの契約が切れた後はニースと契約する予定だったんだけど、当時の監督ガルティエが退任し、スポーツディレクターもいなくなった。それで状況が変わってしまったんだ。そんなときにモンツァがフランソワ・モデストを通じてコンタクトを取ってきた。彼がプロジェクトの話をしてくれたんだけど、その内容を聞いてすぐに納得したよ。『試合に出られるし、しっかりしたチームがある』と言われて、それなら、ってなったんだ」
フランス2部からセリエAのクラブに移るのは難しかった?
「僕にとって、セリエAはプレミアリーグに次いで世界で2番目にレベルの高いリーグだ。ミラン、インテル、ローマ、ユーヴェ、アタランタ、ナポリ……、ビッグクラブが多いし、リーグ全体のレベルがすごく均衡している。モンツァに来たときはコンディションもよかったし、自信もあったけど、練習に入ってすぐに『これは別次元だ』と感じたよ」
最初の頃、試合に出られなくて不安はあった?
「僕を獲得したジョヴァンニ・ストロッパ監督が、僕が来てすぐにチームを去ってしまった。その後、ラファエレ・パッラディーノが就任したけど、彼のもとではあまりプレー機会がなかった。言葉も話せなかったし、僕のポジションにはイタリア代表としてEUROを制したマッテオ・ペッシーナのような選手がいた。僕はまだ若かったし、実力を証明しなければならなかった。簡単ではないと分かっていたけど、チャンスが来ればやれるという自信もあった」
そして、その自信が結果につながった
「ナンシーでは全試合に出場していたから、ベンチに座ることには慣れていなかった。それでレンタル移籍を決断してレッジーナに行ったんだけど……。ほぼ1シーズンを棒に振ることになった。わずか3試合しか出場できず、モンツァに戻ってきたときも状況は変わらなかった。でも2024年1月にパッラディーノ監督がついに僕にチャンスをくれたんだ。それからは2025年1月までの間、ずっとスタメンで出場し続けたね」
セリエBのレッジーナでの短いレンタル期間について、どんなことを覚えている?
「サッカー的には正直、あまり得るものがなかった。試合に出られなかったし、6カ月間を無駄にしてしまった。でも、それも経験だった。セリエBにいても試合に出られない状況を経験して、『ああ、これはダメだな』と思った。そこで、より強いメンタリティを持つことができたんだ」
レッジーナ時代、ジェレミー・メネズとはどんな関係だった?
「彼は僕を弟のようにかわいがってくれたし、いろいろアドバイスもくれた。僕の実力を理解してくれていたし、今でも連絡を取り合っている。今はコンサルタントをしているけど、素晴らしいキャリアを歩んだ選手だった。レッジーナではキャリアの終盤だったかもしれないけど、それでも高いレベルにあることは明らかだったね」
モンツァでは昨季、バレンティン・カルボーニとプレーした。彼はもし負傷しなければマルセイユで活躍できたと思う?
「彼は2005年生まれで、モンツァに来たときもまだすごく若かったけど、すぐに影響力を発揮した。ずっとイタリアでプレーしていたから、フランスとはまた違う環境だったはずだ。時間さえあれば、マルセイユでも成功していたと思う。彼は年齢のわりに本当にすごい選手で、大人でもできないようなプレーをする。アルゼンチン代表にも選ばれ、コパ・アメリカも制覇した。だけど、残念ながらケガが彼の成長を止めてしまったね」
これまで対戦またはチームメートになった中で、一番驚かされた選手は?
「モンツァに来て初めてプレーを見た選手の中では、ラインデルスがダントツだった。今はチームメートになったけど、昨季の時点で『セリエAで一番すごい選手かもしれな』って友達に話していたくらいだ。彼と対戦したとき、その実力に本当に衝撃を受けた」
ミラン加入の経緯を教えてほしい。外から見ると、まるで2時間で決まったように見えた
「実際、2時間で決まったようなものだよ(笑)。冬の移籍市場が開いたとき、僕はモンツァに残るつもりだった。ミランが興味を持っているとは聞いていたけど、具体的な動きはなかったし、補強の予定はないとも言われていた。だから、モンツァに集中しようと思っていたんだ」
「でも、ある日トレーニングが終わって、何気なくSNSで移籍市場のニュースを見ていたら、14時ごろに「ベナセルがマルセイユに行きたがっている」との報道が出た。そのときは特に何も思わなかったけど、17時になって叔父(代理人)から電話があって、『ミランがベナセルの代役としてお前を獲得したいと言っている。クラブもオファーを出すつもりだ』と伝えられた。『行く』って即答したよ」
「実は3年前、マルディーニとマッサーラのときにミランに行く可能性があったけど、そのときは実現しなかった。でも、スポーツディレクターとの関係はずっと続いていたから、交渉はスムーズに進んだ。クラブ間の合意もすぐにまとまったんだ」