元ホンジュラス代表のダビド・スアソが、『スカイ』のインタビューに応じた。
昨シーズンに監督としてのキャリアをスタートさせたスアソは、2007年からインテルでプレー。2009年夏にレンタルから戻ってきたが、2010年1月の移籍市場でジェノアにレンタルされた。
トリプレーテの一員
「(2007/08シーズンの)インテルの一員だったことは素晴らしいことだ。パルマとの最終節でカンピオナート制覇を決めたね。みんなと最高のパーティーをしたよ。でも、2003/04シーズンのカリアリでの昇格も同じくらいの喜びだった。スクデットを勝ちとったような気持ちだね。僕は4年間セリエAへ行ってなかった。そこでの時間が成長させてくれたんだ。ホンジュラス人として、カンピオナートを制したということはスペシャルなことだね」
「(2009/10シーズンは)ジェノアへ行く前に半年間チームの一員だった。ゴールも決めたよ。だから、トリプレーテ(3冠)には少し自分もかかわっていると感じているんだ。あのインテルの強さはグループ感だ。スタメンから外れても、チームの一員だと感じていた。歴史をつくっているチームの一員だとね。モウリーニョはすごかったよ。全員が準備万端で、助ける用意をしていた。それが結果で証明されたね」
マンチーニとモウリーニョ
「マンチーニとモウリーニョは、どちらも勝者だ。でも、チームとの接し方は違った。ジョゼは事前に決めたスタメンをはっきりさせる。で、スタメンがケガをしたりすると、ほかの選手に出番がくるんだ。マンチーニは全員に準備をさせて、たくさんローテーションした」
「欠点? モウリーニョのもとで僕はほとんどプレーできなかったね。マンチーニはみんなを求めたけど、怒りすぎだった。『もうオマエはカリアリにいるんじゃないんだ』ってしょっちゅう言われたよ。でも、たくさんの大事なアドバイスもくれた。彼は大舞台に慣れているんだ」
目指す指揮官像
「誰にインスピレーションを受けた? カリアリでは15人以上経験したね。そのなかにはジャンパオロもいた。それぞれに何かしらをもらっている。自分としては、ロベルト・デ・ゼルビ、ロベルト・ダヴェルサ、イバン・ユリッチの仕事をチェックしているよ」
ミランに行く可能性もあった
「インテルに行く前にミラン移籍の可能性があった。カリアリからその可能性を聞いたんだ。でも、僕はすでにインテルに話していて、それを尊重した。マンチーニと話して、僕の決定を伝えていたんだ。8年過ごしたカリアリを離れるのは簡単じゃなかった。今もそこで暮らしているくらいだしね。でも、どこかのクラブから連絡がきたら話す用意はあるよ」
イブラはやはり別格だった
「インテルではたくさんの満足を手にした。選手にしても監督にしても、すごい人ばかりだったね。それが僕を成長させた。カリアリでもゾラという偉人と一緒になることができたね。特に印象的だったのはイブラだ。本当に一人で試合をなんとかしてしまう選手だった。あとはミリートとフィーゴも強烈だったね」
ホンジュラスではナポリが人気
「子供の頃にホンジュラスで応援していたチーム? イタリアのカンピオナートは週に1試合テレビで放送されていて、それはマラドーナがいたナポリの試合ばかりだった。だから、80年代のホンジュラスの子供はみんなナポリのティフォーゾだよ」