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幸運を運ぶダルミアン「普通であることは素敵。強固なグループをつくることがカギ」

インテルを支えるいぶし銀

インテルのマッテオ・ダルミアンが、『クロナケ・ディ・スポリアトーイオ』のインタビューに応じ、様々なテーマについて語っている。

[● ダルミアン「インテルでキャリを終えたい」。その後についても語る(2024/11/19)]

マンチェスター・シティとのUEFAチャンピオンズリーグ決勝

「イスタンブールでの敗北は辛かった。でも、インテルともう一度チャンスがあることを願っている。時には、敗北から学ぶことの方が勝利よりも多いものさ。僕らにとってもそうだった。あの経験が、翌シーズンのスクデット、2つめのステッラにつながったんだ。決勝の舞台に立つことはキャリアの中で特別な日だ。イスタンブールでは良い試合をしたのに、結果が伴わなかったのは残念だよ」

決勝後の葛藤

「家に帰っても、しばらくはそのことを考えずにはいられないんだ。あの夏は簡単ではなかったよ。家族の支えがあって乗り越えられた。次のシーズンで切り替えられたのも、そのおかげだね」

父として

「サッカー界ではあまり話題にならないけど、父親になることは人生を変える大きな出来事だ。親になるのは簡単ではないし、試合や移動、合宿がある中で、大切な人たちと離れて過ごす日々も多い。その少ない時間をどう使うかが重要で、その全てを子どもたちに捧げるようにしている」

「子どもは2人いるけど、扱いを変えることはないようにしている。でも正直に言えば、上の子が少し甘やかされているかな(笑)。それでも、下の子は兄の姿を見て学ぶことが多いから、自然と同じように成長していくんだ」

「父親になることは怖くなかったけど、いろいろな疑問が頭をよぎったのは確かだ。自分は一人っ子だったし、それまで子どもがいなかったから、親としての経験がなかった。だけど、1人目がが生まれると、全てをすぐに学んでいく感じがあって、それがすごく楽しいんだ。子どもを育てる中で、自分も一緒に成長していく。それって本当に素晴らしいことだよ。睡眠時間が少し減ることもあるけど、前泊で取り戻せるからね」

「うちの子どもたちのミドルネームは2人とも“レオ”なんだ。レオナルドという名前が好きだったんだ。海沿いの家を持っていて、そこの部屋のドアに“レオ”って書かれたプレートが掛かっていてね。これは運命かなって思ったよ」

ラッキーマン

「チームメートは、僕が幸運を運んでくるって言うんだ。っていうか”運が良すぎる”って言われるね! ある試合(2023/24シーズン・セリエA第19節のエラス・ヴェローナ戦)で僕がPKを与えてしまったことがあった。でもみんな冷静だったんだ。『ダルミアンが取られたんだから、相手は絶対に外すよ!』って言っていた。そして本当に、トマ・アンリが外したんだ」

「あの試合はジェットコースターみたいな展開だったけど、最終的には僕たちが勝って二2つめのステッラ獲得に近づく大きな一戦になった。すべてがうまくいったよ…。僕たちの力もあったし、僕の幸運のおかげもあるかな(笑)」

「それは冗談として、幸運ってのは自分が毎日どう生きるかによって引き寄せたり、つくり出したりするものだと思うんだ」

リーダーとして

「新しい選手が来たときには、チームに溶け込むのを手助けしているよ。特に国が違うと慣れるのが大変だからね。家探しや食事の場所など、ちょっとしたことでも助けになりたいと思っている」

チームの仲間と一緒にいることの重要性

「強固なチームをつくることは成功のカギだと思う。僕自身、マンチェスター・ユナイテッドに移籍したとき、チームに慣れるまでに苦労した経験がある。だから、新しい選手にはできるだけのサポートをしたいんだ」

マンチェスター・ユナイテッド時代

「ユナイテッドと契約したとき、アウェーゲームでは家族用の特別席がなく、一般のファンの中で観戦することになると知った。最初の試合がリヴァプールとのダービーだったんだ。妻に『これは重要な試合だけど、行く?』と聞いたら、彼女は『もちろん行くわ』と言ってくれた。右ハンドルの車を運転してきて、アウェー用の観客席にいたよ」

「イングランドのフットボール文化は、選手にとってプレッシャーが少ないと感じた。週の間はサッカーの話題が少なく、週末の試合とスタジアムでの体験が重視されるんだ。雨はやっぱり多かったけど、素晴らしい経験だったし、キャリアにとって重要な移籍だった。語学も少しできたから、それほど苦労はしなかった。到着後はすぐに英語を話そうと努力し、クラブが用意してくれた先生にも助けられた。アニメを観て勉強することも役立ったよ。でも、最も助けになったのはチームメートとの時間だったね」

ミランのプリマヴェーラ育ち

「学校では真面目だった? まあ、ちょっとだけね。 レスカルディーナという小さな街で育ったんだ。それからミランの下部組織に入って、本当に人生の学校みたいな場所だった。行動がすごく重要視されていて、サッカーと学校を両立させることが求められたよ。高いレベルで成功するのがどれほど難しいか、みんな知っているよね」

幼少期

「親にはよく『すごくおとなしい子どもだったから、私たちは本当に運が良かった』って言われるよ。今でもデザインやファッションに興味があるし、子どもの頃に書かされた『将来何になりたい?』って項目に、『ピザ職人』って書いたんだ。理由は分からないけど、ピザを食べるのが好きだったのかもね!」

ニコロ・バレッラのコメントに関連して

「バレッラが、若い選手にはピッチの内外で他者を見習う瞬間が来ると言っていたけど、僕もそういう環境で育った。ロッカールームには、素晴らしい選手たちがたくさんいた。プレーヤーとしても、人としてもね」

「ロッカールームの雰囲気は、いまも前もそんなに変わっていないと思う。今の世代でも、みんな一緒にいることを楽しんでいる。そのためにも、健全で強いグループをつくることが大事なんだ。だからこそ、僕も新しく来た選手たちにはできるだけ親切に接するようにしているよ」

「サッカー選手らしくない」と言われることが多い

「自分は常に自分らしくいることを心がけている。ピッチの外でのことが、プレーに反映されるものだからね。僕たちはみんな普通の人間で、問題や感情を抱えながら生きている。外からはロボットのように見られるかもしれないけど、実際には普通の人間なんだ」

「普通」であることがキャリアにとって不利だと思うか

「僕はそう思わない。むしろ、ありのままの自分が評価されているというのは、すごく素敵だと思うよ」

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