かつてインテルで活躍したフランス人のステファン・ダルマが、『FcInterNews』のインタビューに応じた。
ダルマは2001年から03年にかけてインテルでプレー。ジョイスティックの愛称で親しまれたMFだ。優れたテクニシャンで、パリ・サンジェルマン時代の同僚だったエドゥアール・シセは、「才能的にいえば、自分が見た中でロナウジーニョを除いて最高の選手だ」と称えたほどである。
自身のWhatsAppでインテルのスクデットを祝っている様子を紹介したダルマは、今でもインテルに深い愛情があるという。
「自宅には現役時代の写真がたくさんあるけど、その多くがインテル時代のものだね」
夢だったインテル
インテルはあなたにとって…?
「子供の頃は、夢だった。そのクラブでプレーすることになるなんて、想像すらしてなかったよ。それから2年半チームの一員だった。良い記憶を残したと思う。僕はインテルを忘れたことなんてない。インテルを離れたあとも、セリエAとチャンピオンズリーグの試合をずっとチェックしていたよ」
ティフォージに人気がありました
「メッセージをもらうおかげで、それは感じているよ。ますますインテルのことが大好きになるし、ありがたいことだね」
インテルでの最初の思い出は?
「ロッカールームに入ると、ヴィエリ、セードルフ、レコバ、ディ・ビアージョ、サネッティがいたんだ。それで自分に言ったよ。『オマエはこんな偉大なカンピオーネたちと一緒にプレーする小さなフランス人だぞ』ってね。その3、4カ月後には、負傷していたロナウドがきた。間違いなく彼は最強だったよ」
対戦相手で最も強かったのは?
「ベロンだね。アンビリーバブルだったよ。エレガントで、彼のプレーを見ることは喜びだった」
「もっと成功できたかもしれないけど…」
あなたは優れた選手でした。ただ、ムラもありました
「そうだね。メンタリティに依存する部分だ。自分のキャリアのような舞台に挑む準備ができていなかったと思う。最初は楽しくプレーしていたけど、フランスの強豪と契約したあとはそれが僕の仕事になった。インテルではケガもあったね。それで前に進めなくなったのもあるけど、そういった状況でカンピオーネが持ちあわせるメンタリティというものができていなかったと思う。僕はプレーでスペクタクルを提供したいと思った。勝つために全てを捧げるという気持ちに欠けていたんだ。それに、カルチョ以外の人生も楽しみたいと思っていたんだ。もっと成功できたかもしれない。でも、自分のキャリアに満足しているよ」
ジョイスティックの愛称は気に入っていた?
「うん、すごくね。セードルフにそう呼ばれたんだ。僕にとって、彼はマエストロだったよ」
インテルで最高の思い出は?
「サン・シーロでのフィオレンティーナ戦で決めた最初のゴールだ。ただ、5月5日は死ぬまで忘れられない。スクデットにふさわしかったはずだし、10億パーセントいけると思っていた。今でも僕たちはなぜうまくいかなかったのか理解できていない。でも、今は19回目のスクデットをうれしく思っているよ」
インテル時代に仲が良かったのは?
「カロン、ヴィエリ、トルドかな」
クーペル時代は何が?
「彼には彼の考えがあった。僕とかセードルフ、そのほかの数選手は、そのフィロソフィーが分からなかった。それでも、彼は時に、僕たちを起用せざるを得なかった。お互いをわかり合えなかったと言っておくよ」
19回目のスクデット
今のインテルにおけるダルマは誰でしょうか?
「誰だろうな…。うーん…、エリクセンにしておこう」
では、今のインテルで好きな選手は?
「ルカクだ。みんな好きだけどね。彼は野獣だ。動物だよ(笑)。彼がスクデット男だ。それ以上かもしれない」
アントニオ・コンテは好きですか?
「もちろん。彼はこれまでも良い仕事をしてきたけど、今はインテルでそれをやっているね」
インテルの新しいサイクルは始まったのでしょうか?
「そうであることを願うよ。今シーズンのスクデットを獲ったからといって、次のシーズンでチャンピオンズリーグ出場権を逃すような順位になったら、意味がなくなってしまう。勝ち続けるために、クラブはさらにチームをつくっていかなければいけないね」
3年前に昏睡状態、今は明るい未来を待つ
今は何を?
「家族と楽しく過ごしている。3年前に生命の危険もあったひどい事故に遭った。数日間昏睡状態だったんだ。あと数カ月でパパになるんだ。だから、妻とその準備をしているところさ。今は全て良い感じだよ。幸運にもね」
どうやってその苦境を抜け出したのでしょうか
「再び歩き始め、新しい目標を掲げる力があった。それは生きるということだね。うつ病を乗り越えたあと、僕は世界一の幸せ者になったよ」
ミラノで再び会えるのはいつでしょうか?
「新型コロナウイルスが落ち着いたらだね。ダービーのような素晴らしい試合を見るために2,3日いくかもしれない。クラブからはすでに招待してもらった。機会があったら、僕は喜んでイタリアを訪ねるよ」