「ミランかトッテナムなら年俸を下げていた」
冬の移籍市場でローマからガラタサライへ移ったニコロ・ザニオーロは、多くの非難を浴びた。母のフランチェスカ・コスタさんが、『コッリエレ・デッロ・スポルト』でメルカートをこの冬の出来事を振り返っている。
「息子は裏切り者でも狂人でもありません。一人の少年であり、誰とでも同じように過ちを犯します。私たちも同じです」
突然の別れではなかった。
「突然という言葉の捉え方にもよりますが、先月は、ローマはもう終わり、となりました。ここにはもういられない、残るなんて不可能、となったんです。でも、それまでニコロは長く居続けるつもりでしたし、私たちももちろんそうでした」
順を追っていきましょう。
「ティラナ(で行われたカンファレンスリーグ決勝)のあとで、空気を変える可能性が出てきました。私たちはクラブと話し、そして、1つのことが分かりました。5000万から6000万。それが彼らからみた息子の価値です。ただ、そのようなオファーはこず、彼は残ることになりました。もちろん息子はそれに満足していました。その価値に見合う契約更新を期待したということです」
「その一方で、息子のチームメートたちは契約延長がまとまりました。ただ、お金だけの問題ではないのです。数週間が経ち、ニコロはもはや自分がプロジェクトの一員ではないと気づき始めました。そしてローマは6月に息子を売却したいという意思を伝えてきました。そこからですね」
今回の騒動で、ローマのティフォージからは激しい反発があった。
「私も息子も、私たち家族は誰もティフォージの皆さんに恨みなどありません。常にローマのティフォージの皆さんには感謝していて、リスペクトしています。そこは明確にしておきたいです。批判は構いません。彼らの責任ではないのです。彼らはただ、与えられた情報を信じたということです」
ボーンマスからのオファーは断りました。
「一つはっきりさせておくべきことは、ニコロはミランかトッテナムなら、給料を下げるかローマと同等で十分という考えでした。ただ、この2チームはローマと合意に達していません。そのときボーンマスの話が出ました。500万ユーロのオファーと言われていましたが、それは事実ではありません」
「一度断ったあとにボーンマスに行くと言った? それは事実です。ただ、再び連絡をしたときにはすでにほかの選手を獲っていました」
その後、ガラタサライへの移籍が実現しました。
「ほぼ即決でした。すぐに信頼を感じましたし、早くまとめたかった。だから合意は簡単でした」