ボニーが語る ユヴェントス加入破談の絶望とインテルへの帰結

母国メディアのロングインタビューで語る半生

インテルのアンジェ=ヨアン・ボニーが、3月19日付のフランス紙『L’Equipe』のインタビューに応じた。イタリアメディア『TMW』などがその詳細を伝えている。

かつてユヴェントスへの移籍が目前で破談になった過去や、自身のニックネームの由来、そしてインテルでの現在地など、若きストライカーが多岐にわたるテーマを語った。

原風景としての「トゥールの駐車場」

パリ近郊で生まれ、トゥールで育ったボニーにとって、その街は自身のアイデンティティの根幹を成している。

「僕にとって大切な場所は、育ったトゥールだ。育成センターにはパリ出身者が多く、彼らは地方都市を田舎扱いして『トゥールの奴らは田舎者だ』なんて言っていたよ。僕たちが一番よく集まった場所は、地区の真ん中にある駐車場だ。華やかさとは無縁だったけど、車も免許もない頃、みんなで折りたたみ椅子を持ち寄って座り、互いの人生について語り合っていた」

ユヴェントス移籍の破断と絶望

その駐車場は、キャリア最大の挫折を分かち合った場所でもある。17歳の時、シャトールーから名門ユヴェントスへの移籍が決定寸前まで迫っていた。

「あの駐車場で過ごした夜の中で、最も心に残っているのは一番悲しい夜だ。17歳の時、ユヴェントスへ行くはずだった。でも、メディカルチェックで心臓に問題があるって言われて、実質的に『サッカーを続けるのは難しい』と告げられた。夢の頂点から一瞬ですべてを失った。あのショックはあまりにも大きかった」

失意のどん底にいたボニーを支えたのは、地元の仲間たちだった。

「移籍がダメになった後、家に帰って真っ先にあの駐車場へ向かった。仲間たちは自分のことのように落ち込み、感情を分かち合ってくれた。その時、誰が本当に信頼できる相手なのかを悟ったよ。だからこそ、インテルと契約したあと、真っ先にニュースを報告したのもあの場所だっただ」

初のユニフォームはインテル

2025年夏に加入したインテルとは、奇妙な縁がある。

「僕が最初に手にしたユニフォームはインテルのものだった。サミュエル・エトーがいたからなんだ」

お調子者と、母との約束

学生時代のボニーは、ムードメーカーであると同時に、友人への義理を欠かさない性格だったという。一方で、プロサッカー選手への道が開け始めた頃、学業との両立に苦労したエピソードも明かしている。

「学校での成績は良かったんだけど、お調子者だった。笑うのも笑わせるのも大好きで、よく注意されていたよ。一度、校長室に呼び出されたこともある(笑)」

「学食で女子グループと喧嘩になった友人のフェリックス・ルマレシャル(現クラブ・ブルッヘ)に加勢したんだ。理由は覚えていないけど、物を投げ合っていたね。僕は仲間が橋から飛び降りるなら自分も飛ぶタイプだから、迷わず続いた。結局3人で罰を受けて、食堂の掃除と椅子の片付けをさせられたよ」

「シャトールーでプロの練習に参加し始めた頃、授業と時間が重なって勉強が遅れてしまった。正直、『どうせプロになるんだし、いいや』なんて思っていたんだ。卒業試験の前、家族に『しばらく学校に行っていないから難しいと思う。期待しないでくれ』と先手を打っておいたんだ」

「そしたら母にこう脅されたんだ。『もし卒業資格を持って帰ってこなかったら、契約書には絶対にサインしないわよ。私のサインも必要なんでしょう?』って。結局、追試でなんとか卒業したよ。弁護士の弁論には興味があったし、スポーツジャーナリストもいいなと思っていた。でも、自分の評価記事を読んで『こりゃダメだ!』って諦めたけどね(笑)」

「アンジェロ」の由来とゴールセレブレーション

ニックネーム「アンジェロ」は、パルマ時代の指揮官ファビオ・ペッキアに由来する。

「ペッキア監督が僕の名前をうまく言えなくて呼び始めたんだ。ある試合の後、彼が僕に向かって『アンジェロ!』と叫んだことで定着した」

「片方の目を隠すゴールセレブレーションは、仲間たちのためのものなんだ。海賊のポーズだと思われていても、それはそれで構わないよ」

音楽への傾倒と、果たせなかった約束

ボニーのルーティンには音楽が欠かせない。好きな音楽や、イタリア音楽界の巨星オルネラ・ヴァノーニとの交流についても触れた。

「お気に入りの曲? レディオヘッドの『Everything In Its Right Place』だ。このタイトルが心に刺さるんだ。2024年にパルマでセリエA昇格を決めてから、試合前に聴くのがルーティンになった。集中力を高めてくれるんだ」

「オルネラ・ヴァノーニの『L’Appuntamento(逢いびき)』も特別だよ。映画『オーシャンズ12』でも流れていた曲だ。最初は特に調べなかったんだけど、車の中で再会して衝撃を受けた。まさに一目惚れならぬ『一聴き惚れ』さ」

「イタリアのインタビューでこの話をしたら、イタリア音楽界の巨星である彼女が、スタジアムへ僕を観に行くと親切に応えてくれたんだ。それから彼女の全アルバムを聴き込んだよ。一緒に食事かコーヒーでも行こうと約束していた。でも残念ながら、会う前に彼女は亡くなってしまったんだ(2025年11月21日、91歳没)」

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