エリートの悩みを乗り越えて成長を続けるインテル育ちのGK
「父と弟と、CLの舞台で──」
インテル育ちのGKフィリップ・スタンコビッチが、自身のルーツ、家族への感謝、そして夢を語った。『GianlucaDiMarzio.com』掲載の手紙形式のメッセージから、その想いを抜粋して紹介する。
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GKであることは「責任」だ。孤独で特別な役割。仲間が背中を預ける存在で、どんな状況でも安心感を与えなければいけない。
最初はGKじゃなかった。全てが変わったのはサルデーニャで過ごしたバカンスのときだ。あのとき、兄のステファンがGKで、僕はまだフィールドプレーヤーだった。ある日、交換しようとなった。
それ以来、ゴールの魅力に取りつかれた。もうゴールから離れられなくなった。「ああ、ここが僕の居場所なんだ」と感じ、そこからは自分の家になった。
セーブのときのあの震える感覚、唯一手が使える特別な存在、そして責任感。
世間にとってはデヤン・スタンコビッチ。でも僕にとっては、ただの「パパ」。 もちろん、僕が背負っているこの苗字は重い。昔からずっとそうだ。
“スタンコビッチ”の重み
9歳のときのことを覚えている。試合中、ネットの裏から大人が叫んでいた。
「お前はコネで出ているんだ。親父のおかげだろ」
「え? 大人が僕みたいな子どもにそんなこと言うの?」と思った。
でも、それが問題だとは思わなかった。むしろ力になった。見返してやりたいという気持ちになった。その大人や、同じように思っている人たちが間違っていると証明したかった。
偏見を超えて、言葉を、視線を超えて、“息子”というだけの存在ではなく、“自分”として認められたかった。僕は強かったし、今も強い。僕がここにいるのは、自分で勝ち取ってきたからだ。努力と犠牲によって、この両手で築いてきたものだから。
家族の絆
家族はすべて。今の自分を形作ってくれた。兄弟たちとは特別な絆があるし、僕にとって唯一の“本当の友達”とも言える。
みんな負けず嫌いで、何でも競っていた。サッカー、バスケットボール、テニス……。僕とステファンvsアレクサンダルとパパで競った。
勝つのはどっちかって? それは時と場合によるけれど、たいていむこうだったね。
僕たちがリードしていても、結局最後には彼らが勝っていた。結局、父が本気を出すと勝てなかったということさ。
父からは多くを学んだ。
努力の意味、苦労の価値、毎日の献身の大切さを。そんな彼が父であることは、僕にとって幸運なことだ。
もう一つの家族
インテルもまた、僕にとっては“家”だった。
子どもの頃に入団して、かけがえのない思い出をたくさんもらった。
「今日は学校休んで、ピネティーナに行こう」
そんなふうに部屋のドアを開けてくれた日の朝は、本当に特別だった。
インテルが勝った翌朝、僕たちは父のチームメートがいる練習場に向かった。ジュリオ・セーザルのグローブをはめ、出発の準備を整えた。兄弟たちと一緒に、その選手たちを見つめていた。
忘れられない思い出がたくさんある。イブラやミリートとのパス、マイコンの言葉。雨の中、モウリーニョがベンチによりかかりながら僕たちのミニゲームを見ていた。ジュリオからもらったアドバイスや、彼との食事。どれも心の中に大切にしまってある。
インテルは、これからもずっと僕の家だ。
昨季の負傷
昨季まで、大きなケガをしたことがなかった。あれは人生で一番輝いていた瞬間だった。すべてが順調で、夢だったセリエAでのプレーも叶っていた。しかも、自分でも良いプレーができていた。
それが、ウーディネでのあの日、すべてが止まった。
ボールを蹴った瞬間、違和感を感じた。そんな感覚は初めてだった。膝に鋭い痛みが走り、地面を拳で叩いた。その痛みも、忘れられない。
ただただショックだった。途中で交代してロッカールームへ戻り、家族に電話して言った。
「何でもない、大丈夫だ。次のローマ戦には出たい」
でも本当は、すごく怖かった。もしかしたら、深刻なケガかもしれないって。翌日、MRIを受けた結果は「腱の部分断裂」だった。
サッカーから離れて家にじっとしている、そんな生活に慣れていなかった。他の選手たちは前に進んでいるのに、自分だけが止まっている感覚だった。
でも僕は、諦めることも、投げ出すことも慣れていない。3カ月の間、一日たりとも休まなかった。
反応速度を鍛えるためのライトを家に取り寄せ、ボールを発射する装置を使ってセーブの練習を続けた。気持ちは常に前を向いていた。何かやれることはないかと、いつも考えていた。そしてもう、そのときから目の前には「復帰」という明確な目標が見えていた。
親愛なるヴェネツィアへ
2年前の夏、君が僕を必要としてくれたときのことを覚えている。
スポーツディレクターのアントネッリが語ってくれたプロジェクトが、自分にとって「正しい」とすぐに感じた。それから君は、単なるクラブでも都市でもなく、それ以上の存在になった。
ヴェネツィア、君は僕を受け入れてくれたね。
この苗字を持っている僕を、偏見なしで、評価なしで、ただの一人の人間として抱きしめてくれた。
そして、自分自身でいられる場所、実力を証明できるチャンスを与えてくれた。若いゴールキーパーに必要な「落ち着き」を、君は与えてくれた。それは、僕を成長させてくれたし、より成熟した自分自身への「確信」を育ててくれた。君は、僕を信じてくれた。
君とともに、僕は夢だったセリエAでのプレーを果たした。そして、サン・シーロでインテルと対戦するという夢も叶った。あのスタジアムは、2歳の頃から父のプレーを見に通っていた場所。インテルは、僕がサッカー人生をスタートさせた場所であり、僕が育った“家”だった。
君と一緒に、ルカクのPKを止めたときの興奮も忘れられない。今でもあのときの叫び声を覚えている。あの瞬間、ピッチにいたのは僕と彼だけ。彼のシュートを止めることができた。それは、僕のチームのためにやったことだった。
夢
過去を振り返ると、家の前で兄弟たちとボールを蹴っていたあの少年の姿が浮かぶ。その子に今、声をかけられるなら、こう言いたい。
「君は、きっと立派な大人になる。人生では、たくさんの問題や困難が待っているけど、大切なのはそれをどう乗り越えるかだよ。胸を張って、心からの笑顔を絶やさずに、自分の中にある“情熱”のために努力を続けてほしい」
「もしかしたら、いつか夢が叶うかもしれない。弟のアレクサンダルと一緒に、父がベンチにいるチームで、チャンピオンズリーグを勝ち取るという夢を」

