ハカン・チャルハノールには特に感謝
夏のメルカートでインテルを離れてトリノに加わったクリスティアン・アスラニが、クラブ公式メディアのインタビューに応じ、移籍などを振り返った。
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「ここに来たかったのは、このプロジェクトを信じていたから。強く望んでくれたし、僕にとっては簡単な決断だった。ただ、市場が閉まる直前はかなりストレスが多かった。インテルにいたし、いろんなオファーがあった。最初はすぐに決断するのが怖かった」
「自分を助けてくれるプロジェクトを見つけたかったし、とにかく試合に出ることが必要だった。数日間様子を見たけど、逆にリスクになってしまって、最後の方はますます厳しくなっていた。でも、来たかった場所に来られて本当にうれしい」
「決め手は、会長、ディレクター、ミステルの強いプッシュだった。みんなが僕を信じてくれていたし、まさに望んでいたプロジェクトだった。僕だけじゃなくて、家族も喜んでいて、完璧な形で決まったと思う」
自分のルーツ
「僕はアルバニア生まれで、2歳のときにイタリアへ来た。父は一人でゴムボートに乗って先にイタリアへ渡り、あとから僕と母が合流した。代表はアルバニアを選んだ。ファンは素晴らしいし、アルバニアとの絆はとても強い。祖父母も現地に住んでいて、行けるときは会いに行っている。本当に大切な存在。アルバニアを選んだのは、自分がアルバニア人だから。イタリアとの試合は特別だった。すごく楽しみにしていたし、インテル時代の仲間や知っている選手と対戦できるのがうれしかった。ピサの友人たちも試合を見ていたし、感情が込み上げてきたね」
エンポリ時代
「長くて大切なステップだった。13年いたから、今もクラブの人たちや会長、仲の良い仲間たちと連絡を取っている。プリマヴェーラで優勝したのも大きな思い出。エンポリは“家”だったし、素晴らしい日々だった。そこからが僕のキャリアのスタートだった。あのチームからは多くの選手がプロになっていて、今も連絡を取り合っている。あの年は本当に素晴らしかった。ユース年代を締めくくる最高の形だった。その後トップチームに上がって、僕にとって非常に重要なステップになった」
ポジションについて
「子どもの頃はトレクァルティスタをやっていた。どの監督にも『シュートが良いから後ろで使うのはもったいない』と言われていた。でも、時間が経つにつれてプレーメーカーになって、それが今の僕のスタイルになった。いろんなポジションをやってきた。代表ではインサイドハーフをやっているけど、プレーメーカーの方が好きだ。今のサッカーでは、複数のポジションをこなせないといけないね」
インテルへの移籍
「エンポリで1月からスタメンとして出場し始めて、その後インテルへ移籍した。大きなオファーだった。もともとインテリスタだったから、すぐにイエスと言えた。3年間は本当に素晴らしい経験だった。インテルのみんなに感謝している。ピサの近くの小さな町からミラノへの引っ越しは、僕にとって大きな変化だった」
インテルでの感情
「1年目は本当に感動的だった。あのユニフォームを着ること自体が特別だった。出場機会は多くなかったけど、初めてのタイトルも手にしたし、重要な選手たちの近くでたくさん学んだ。正しい選択だったと今も思っている。チャルハノールの控えとしていたけど、彼から学べたことは大きい。彼は素晴らしい人で、ピッチ外でも助けてくれた。彼だけじゃなく、他の選手たちも僕の成長に大きく貢献してくれた。今は人間としても成長できたと思っている」
CKからの直接ゴール
「正直、あれはラッキーだった。蹴ったらそのまま入った。信じられなかったし、仲間たちにビンタされまくったよ(笑)。運だったけど、時にはそれも必要だね」
フリーキック
「フリーキックは僕の武器のひとつ。そろそろゴールを決めなければいけない。シーズンに3~4点でも決められたら、チームの力になる。フリーキックは試合を決める要素になる。今はそこを重点的に練習していて、ゴールを取れるようにしたい」
トリノのチームについて:
「まだ来て間もないけど、すごく健全なロッカールームだとすぐに分かった。みんな良い人ばかりで、素晴らしい歓迎を受けた。イズマイリのことはもともと知っていて、ピッチ外でも仲が良いから、彼と再会できて本当にうれしい。他の選手たちとも少しずつ打ち解けていて、すごく良い雰囲気の中にいると感じている」。
ピッチ外の自分
「僕はシンプルな人間。練習が終わったら家に帰ってゆっくりしたいタイプ。外食すらあまりしたくない。家で過ごすのが好きなんだ」