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バストーニ「コンテに50回レンタルに出してと頼んだ」

キャリア初期やインテル初年度、CLの悔しさを語る

インテルのアレッサンドロ・バストーニが、ポッドキャスト『The BSMT』で様々なテーマについて語った。

本気でサッカーをやろうと思ったのは何歳の時?

「アタランタでデビューしたのは17歳だったけど、その時はまだプロになれるとは思っていなかった。だから学校もちゃんと卒業した。確信は持てなかったね。いろんな要素が重ならないといけないから。タイミングよく良い監督に出会って、良いクラブに行かないといけない。サッカー選手のキャリアにはいろんな要因が影響する。僕が“やれる”と思ったのは、19歳でパルマにレンタル移籍したときだった」

お父さんに助けられたそうだけど…

「ナツィオナーレ・ジョヴァニッシミの時に、僕は全然試合に出られなかった。『なんでこんなことに…』と思ったこともあった。朝8時に起きて学校に行って、そのあと練習、帰るのは夜9時。やめたくなる気持ちもあったけど、両親が絶対に諦めるなと教えてくれた。ベルガモには僕より才能がある選手もたくさんいたけど、トップまで行けなかったのはそういう精神面の差だと思う。父は現役時代にそういう粘り強さがなかった。だから、成功するのは一番うまい選手じゃない。うまい選手はたくさんいるけど、最終的に大事なのはメンタルだと思う」

ミラノでプレーするというのはどういうこと?

「ものすごく大きな責任だよ。世界中のティフォージを代表しているわけだからね。このクラブでは引き分けは許されない。常に勝ちを目指さないといけない。そしてダービーの瞬間が来たら、すべてが魔法みたいに変わる。おそらく、それが僕たちにとって一番大きな責任だと思う」

インテルに行くと知ったのはいつ?

「パルマにレンタルに行く1年前に、高速のサービスエリアで代理人と会って、『インテルに行きたいか?』って聞かれて、すぐに行きたいって答えた。その時はまだ、そんなに早くインテルの選手になれるとは思っていなかった」

「アタランタでは出番がなくて、パルマで良いシーズンを過ごした後に戻ったら、コンテがいたんだ。シュクリニアル、デ・フライ、ゴディンといった強い選手たちがいたから自分は絶対出られないと思って、レンタルで出してくれって何度も頼んだ。50回は言ったけど、彼は絶対に出さなかった。絶対に残すと言って、10月から試合に出場させてくれたよ」

アントニオ・コンテは君のどこを評価したと思う?

「彼は本当にサッカーに情熱を持っている人で、僕のパルマ時代の全試合を見ていたと確信している。細かいところまでよく見ている。たぶん、当時のインテルに足りなかった部分を僕の中に見つけたんだと思う。ディフェンスラインの中で僕だけが左利きで、3バックで左利きは必要だった。それに、彼も最初は僕がまだ準備できていないと分かっていたはず。ああいう大きなステップは簡単じゃないからね。でも僕のポテンシャルを見て、やれると思ってくれて、そして一番大きかったのは、思い切って僕をピッチに送り出す勇気を持ってくれたことだと思う」

自分がインテルの選手だと実感したのは?

「ジェノバでのサンプドリア戦がデビュー戦だったけど、ナポリに勝ったクリスマス時期の試合で、スタメンとして出場して活躍できた。あの時、『自分はインテルのスタメンとしてやれる』って感じた。成長するには試合に出るしかない。プレーして、ミスして、何度も繰り返すことが大事なんだ」

2023年のチャンピオンズリーグ決勝は?

「本当に最悪だった。眠れなかった、頭の中で何度もプレーがよみがえってきた。次にいつ決勝を戦えるかなんて分からない。いっそ10点差で負けた方がマシだったと思うくらいだ。あの試合は勝てたかもしれないという感覚があったからなおさら悔しかった。あの試合のハイライトは一度も見返していない。見たら腹が立つし、すごく悲しくなる。もう一度決勝に出られる保証がないというのが、一番つらい。でもそれがモチベーションにもなる。だけど簡単なことではないね」

メディアとの関係は?

「メディアの仕事は、何かを際立たせることだと思う。だから、書かれていることに真に受けないことが大事だ。強いグループとしっかりしたクラブがあることが本当に大きい。外で言われていることは、外に留めておかないと。読めば読むほど気にしてしまって、余計につらくなる」

「何が一番嫌かっていうと、妻のSNSにまで来て侮辱してくる人たちがいることだ。僕への侮辱は構わないけど、家族や大切な人たちを巻き込むのは許せない。サッカーは大事なことだけど、家族より上に来ることは絶対にない」

キャリアで一番うれしかった瞬間は?

「最後のスクデットをダービーで決めたことだ。相手のホームで勝って決めたからね。EUROのウェンブリーと同じような感じだった。それからのバスでの優勝パレードも最高だった。前のスクデットの時はコロナでティフォージと祝えなかったけど、そのときは8時間バスで回って、みんなで一緒に祝えたんだ」

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