悪魔のささやきに乗ってしまった元キエーヴォ右サイド
かつてインテルでもプレーしたルシアーノが、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューで「エリベルト」について語った。
エリベルトは2000年から在籍したキエーヴォで活躍。左サイドのクリスティアン・マンフレディーニとともにキエーヴォの躍進を支えた。しかし、2002年に身分の偽装が発覚。実際にはルシアーノという名前で、3歳年を取っていることが分かった。
半年間の出場停止が明けたあと、2003年夏に完全移籍オプション付きレンタルでインテルに移籍するなどしたものの、エリベルト時代ほどのインパクトは残せなかった。
なぜ名前を変えようと思ったのか
「プロのクラブでプレーしたかったんだ。ある人に『別の名前ともっと若い年齢なら、より簡単に道が開ける』って言われたんだよ。若くて才能がある選手なら、ビッグクラブは投資したがるからね。だから、ルシアーノ(1975年12月3日生まれ)を消して、エリベルト(1979年1月21日生まれ)になった。それで、1997年にパルメイラスが最初のトライアルで僕を採用してくれたんだ」
実際に年齢を3年と49日若く偽ることで、夢と現実の差を埋められたのか
「その時はそう思えた。僕は信じてしまったんだ。だって、僕は一人ぼっちだったからね。母さんは僕が6歳の時に亡くなって、父さんもすぐ後に亡くなった。9歳の時には学校を辞めた。学校に行く時間があったら食べ物を稼げなかったからさ。それでレンガを運ぶ仕事を始めた。サッカーだけが、僕と4人の兄弟にとって、より良い人生をつかむ唯一の希望だったんだよ」
「ストリートで育ったから、未来なんて想像できなかった。僕の子どもの頃の友達の中には、悲惨な結末を迎えた奴もいる。僕たちはリオ・デ・ジャネイロから80km離れたリオ・ボニートという街に住んでたけど、そこでは何でも見たし、何でも経験した。だから、僕はサッカーボールに希望を託して夢を追いかけた。そして、エリベルトになったんだ。両親が生きていたら絶対に僕が名前を変えるのを許さなかっただろうけど、彼らはもうずっと前にいなかった。自分がやったことは恥ずかしい。でも、もう戻ることはできない」
パルメイラス、そしてイタリアではボローニャやキエーヴォでプレーした。真実を知っていた人はいたのか
「最初は兄弟たちとごく親しい友人だけだった。パルメイラスにいた頃に妻と出会ったんだけど、最初は彼女にも隠していた。ある日、彼女が僕の家族と一緒に食事をしたんだけど、疑いを持たれてね。うちの家族の名前はみんな『L』で始まるのに、エリベルトだけ違うだろう? それで彼女に『いつか分かるよ』って言ったんだ。それから真実を話した。そして、子どもたち、ガブリエーレとヴィットーリアが生まれた時、自分が本当の苗字を子どもたちに与えられないことに、ついに悩み始めたんだ」
なぜ2002年8月21日に告白しようと思ったんですか?
「もう限界だった。嘘は好きじゃないし、いつか刑務所に入るんじゃないかって不安もあった。僕を救ってくれたのは神への信仰だよ。神がいなかったら、僕はどうなっていたか分からない。神が僕に全てを与えてくれた。真実を話すことが一番いい選択だったと思う。自分の間違いを認めて、その代償を払う覚悟を決めたんだ。6カ月の出場停止中、やっとぐっすり眠れるようになった。やっと自分自身と向き合って平和な気持ちになれたよ」
インテルへの移籍はタイミングが悪かったのか
「自分がベストの状態じゃなかった。そして運が悪かったのは、僕を獲得してくれた(エクトル・)クーペル監督がすぐに解任されたことだね。クラブは(アルベルト・)ザッケローニを新監督に据えたんだけど、彼のサッカーは僕にとって戦術的にあまり合わなかったんだ。ビッグクラブに移籍する前に、もっと調子を戻すのを待つべきだったかもしれない。その後、僕はまたキエーヴォに戻った。そこでの時間は最高だったよ」