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ビセックが語る人生最良の選択「サッカーを辞めて医学を学ぼうとしたけど…」

キャリアの転機を振り返る

インテルのヤン・ビセックが、ドイツ『Sport Bild』のインタビューに応じ、かつての葛藤を明かした。『FcInterNews』が取り上げている。

ビセックはドイツの各世代の代表を経験してきた有望株だったが、その後伸び悩み、オランダのローダ、ポルトガルのヴィトーリア・ギマランイス、デンマークのオーフスと渡り歩き、2023年夏にインテルにやってきた。

現在ではインテルの貴重な戦力となっているビセックだが、若手時代に現役引退も検討していたという。

「ギマランイスにいたとき、ケガばっかりで、『もう辞めて、もともと考えていた医者の道を目指して勉強すべきかも』って思ったんだ。プロサッカー選手に本当に向いているのか自分に問い、辞める寸前までいったよ」

「そのときに僕を信じて、勇気をくれた人がいた。その一人がヴィト・レチェーゼ(Vito Leccese)だ。当時チェルシーでスカウトをしていたケルン出身の人なんだ。2017/18シーズンには、僕をチェルシーに連れて行こうともしてくれたね」

スパイクを脱いだあとの具体的なプランまで考えていた。

「だいぶ真剣に考えていたよ。ポルトガルに行ったときは若手にチャンスを与える方針って聞いていたんだけど、その後変わってしまったんだ。僕にとっては3度目のレンタルで、うまくいっていなかった。だから、チームメートと一緒にベルリンに引っ越して、ルームシェアをして医学を学ぼうと考えていたんだ」

そんなとき、一つのきっかけで状況が変わった。

「ポルトガルのときにチームメートだったノア・ホルム(現ローゼンボリ)のお父さんから連絡がきた。息子からポテンシャルがすごい選手だと聞いたから連絡をした、と言われ、オーフスの監督だったデイヴィッド・ニールセンにつながった。それでチームに招待したいって言ってくれたんだ」

「でも、『デンマークに行ってどうする?』と思った。結局この状況を抜け出せないとも思ったね。でも、最後のチャンスだと考え直して、やってみることにした。今思うと、あれが人生で最高の選択だったね。オーフス2年目にはドイツ人のウーヴェ・レスラー監督がきてくれて、すごくうまくいったんだ」

オーフスでの活躍がインテルの目に留まって主要リーグで活躍するようになったビセックは、ドイツ代表招集の話題に出ている。彼のキャリアは、エリートコースから外れてしまった選手の希望になるかもしれない。

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