新天地にすぐに馴染んだフランス代表FW
インテルのマルクス・テュラムが『DAZNイタリア』のインタビューに応じた。『FcInterNews』が取り上げている。
ドラゴンボール好き
「子供の頃はドラゴンボールのアニメが大好きだった。それから単行本も集めたね。いとこと一緒に全部そろえたよ。ほかのマンガもね」
インテル加入でまず考えたこと
「入ったときは、自分がどんな影響を与えるとかは考えず、とにかく溶け込むことを意識した。イタリア語を知っていた分、楽だったね。チームがもともと強いことは分かっていたから、溶け込むことが大事だったんだ」
ミラン戦のゴール
「カウンターでラウティがデンゼルの裏にパスを出した。僕はボールを回収したら、チャウがそれほどこなかった。だから狙ってみたんだ。1対1で打つ時間があったし、決めることができたね」
ゴールパフォーマンス
「フィオレンティーナ戦でゴールを決めたときに思いついたんだ。サン・シーロの声援はホントすごいからね。ゴールを決めて一番楽しかったのはローマ戦かな。あの雰囲気は特別だったよ」
ディマルコのマネ
「ボルシア・メンヒェングラッドバッハ時代に見たことがあって覚えていたんだ。良いゴールパフォーマンスだからね。だから一緒にやってみたいと思ったんだよ。ラウタロのもマネしようとしたら、彼はあまり気に入らなかったみたいでね…」
頭に手を当てるゴールパフォーマンスも
「それはベンフィカ戦の前に、アンリの息子に約束したんだ。ゴールを決めたら、これをやるってね」
ワールドカップ決勝
「スペクタクルな試合だった、外から見た人はそう言ってくる。中にいた僕としては、それよりも少し劣るかなって感じだけど、それが人生だね。試合は勝つこともあれば負けることもある。ずっと考えることだけど、どうしようもないことだ。いつか戻ってくるということを考えることはできても、過去に戻ってやり直せるものじゃないからね」
カリム・ベンゼマ
「100%インスピレーションだね。彼は9番だし、10番にも慣れるし、ウイングもこなせる。ピッチのどこでもチームの解決策になれる選手だ。僕がなりたい9番像そのものだね。たくさんアドバイスをくれたけど、一番はプレーに対するリスペクトだ。シュートすべきところでシュートを打ち、パスを出すべきところでパスを出す。正しい判断が重要だ」
ラウタロ・マルティネスのゴール量産にどれだけ貢献している?
「それは分からないよ。でも、ラウタロはゴールを決めるのにほかの誰かが必要だとは思わない」
加入したあとで最初にメッセージをくれたのは?
「ディマルコだ。『ようこそ、2年前から待っていたよ』ってね」
なぜインテル?
「前からあったフィーリングだ。2年前にインテルへ移籍する機会があったときにケガをしてしまった。ここにくるつもりでいたからショックだったよ。ずっとここに来たかったんだ」
ケガについて
「メルカートの最後の数日、一週間にわたってずっとインテルと話していた。インテルへ行くものだと思っていたけど、試合に出て前半の途中にケガをしたんだ。深刻なものだとは思わずそのままプレーを続けたんだけど、5分くらいやって痛みが続いた。だから下がったんだ。そのあともインテルはずっと寄り添ってくれていた。素晴らしい人たちで、敬意を持って接してくれることが伝わった。だからインテルを選ぶのは僕にとって自然だった」
センターフォワード
「シーズンを通して9番をやったのは昨季が初めてだった。アウジリオは2年前から僕にことを9番として見ていて、それも決断につながった一因だね。これまでやってきたことが、今の9番としての役割に役立っているよ」
イタリアで暮らしていたときの思い出
「たくさあるよ。公園に行って遊んだし、何度もトリノのスタジアムに行った。子供の頃をイタリアで過ごせてとても良かった。子供の頃にフェデリコ・キエーザとパルマで写真を撮ったことがあるんだ。ウェアとも仲良しで、よく連絡を取るね」
お父さんはワールドカップで優勝している
「僕はまだ1歳にもなっていないときだね。父さんがどんな人か理解したのは10歳とか11歳のときだった。それまではリリアン・テュラムではなく、パパでしかなかったよ。父さんはサッカー選手にしたくなかったみたいだけど、僕がサッカーに夢中になっていることに気づいてしまったんだ」
ほかのポジションをやろうと思ったことは?
「守るのはあんまり好きじゃなかった。ボールを扱うのが好きでゴールを決めたかった。DFはゴールを阻止するばかりで、人を喜ばせるものじゃないとよく言っていたよ」
両親から教わったことは?
「リスペクトが全て、ってことだね。それが仕事にも通じるものだと教わった。実際、とても大事なことだと感じているよ」
自分と比べるかつての名選手は?
「アンリのことは毎日考える。父さん以上にね。父さんには教えてもらえないことをいろいろ学んでいるよ」
カンナヴァーロを「おじいちゃん」と呼んでいた
「父さんとカンナヴァーロは一緒だった。僕がゴールを決めると、むこうはオレたちがプレーしていたらゴールは決められないと言うんだ。だから、『おじいちゃん、黙ってテレビで観ていてね』って言っておいたよ」
メッシからスパイクをもらったことがありました
「10歳のときだ。メッシが19歳か20歳くらいだったね。練習後に子供たちが入れるいうになっていて、僕はスパイクを忘れてしまった。で、メッシの靴のサイズが40か41で、38の僕に最も近かった。それで彼がスパイクをくれたんだ。そのまま持って帰っていいよ、って言われてね。次の日に僕は友達にあげちゃったんだ。それがメッシだってよく知らなくてね。毎日のように後悔しているよ」
ロナウドについて
「憧れだ。子供の頃、どうしても僕が話したがらない毛布があった。母がどうかしたいとき、『ほら、ロナウドにあげないといけないでしょ』って言って、僕から毛布を引き離していたよ」