アウジリオがロングインタビュー
インテルのスポーツディレクターであるピエロ・アウジリオが、レーガ・セリエAの公式メディア『ラジオTVセリエA』のロングインタビューに応じた。
普段メディアに対して話すことは多くないアウジリオSD。自身のキャリアや会心の補強、今夏のメルカートなど、様々なテーマについて語っている。
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「考えごとをしながらね。これまでの試合のこと、これからの試合のこと、心が軽いと歩くのも楽しいよ。良い時期だ」
もともとインテリスタなのですか?
「いや、カルチョへの情熱を持って生まれたということだけだ。20歳のときにプロ・セストでディレクターの道を歩み出した。もうインテルで25年になるね。部屋に誰のポスターを貼ったか? 私には自分の部屋がなくてね。いつも兄(か弟)とソファベットをシェアしていた。ごく普通の幼少期だった」
「1998年にインテルから仕事をもらうようになった。選手としては16歳でプロ・セストのトップチームに行ったが、2年後にケガで諦めたよ。そのケガが私にとっては幸運だった。そのおかげで若い頃からプロ・セストの会長の交渉を手伝わせてもらったんだ」
そのために多くの犠牲を払ったのでは?
「私は自分が幸運だったと思っている。自分が一番の情熱を注いでいるのが仕事だ。サッカー選手を諦めたあと、自分のことをスポーツディレクターとみてきた。そのために努力しなければいけないことは明らかだったけど、それは当然だ。まずはアシスタントとして働き、週末を潰してたくさんの試合を見てきた。ただ、実際には情熱であって、犠牲とは思っていない。私は責任と情熱で生きているんだ」
ケガがなければどんな選手になっていたのか。
「プロになっていただろう。年齢よりも上のチームでプレーしていたしね。当時はC1でトップレベルまで行けたかは分からない。Aに行くには何か足りなかったと思う。2年の試練をへて切り替えた。1度目の手術のあとはなんとか復帰するために努力をしたし、諦めるのは非常につらかった。ただ、アマチュアで続けるのは興味がなくて、別の道を選んだ。まずは監督になろうと思った。それから会長、(当時のプロ・セスト会長のジュゼッペ・)ペドゥッツィさんに言われたんだ。『監督として君より優秀な人材はいるだろう。ただ、ディレクターが人不足なんだ』とね」
インテルで働き出したきっかけは?
「そこにも交渉があった。ユースセクターの責任者を探していて、フルタイムで働ける人を求めていた。ただ私は試験もあった。だから、午後と夜に働く半年のパートタイム契約をしてもらった。施設の管理人にパニーノを持ってきてもらって、それを一緒に食べながら働いたものだ。ロナウドのときのインテルだ。正式にインテルに入って最初の試合はUEFAカップ決勝のインテル対ラツィオだった。あと、モラッティさんに最初に呼ばれたことも覚えている。2009年にキエフへ行った翌日のことだ。そこからはいつもチームに帯同するようになった」
長年インテルに仕えている。
「簡単なことではないが、私は常に誠実にベストを尽くしてきた。3人の異なるオーナーの体制で働けているのは誇らしいことだ。モラッティ・ファミリーのことは知っていたとしても、トヒル体制とチャン体制では、ゼロから自分の能力を示さなければいけなかったわけだからね」
インテルであなたの人生を変えたのは?
「モラッティさんには恩義がある。彼のインテルに入れてもらったからね。15年間一緒だったと思う。そのあとトヒル体制でスポーツディレクターを任せてもらった。厳しい時期もあったね。チャン会長は2016年11月にきた。そこからはまた新しい挑戦だった。3人ともに感謝しているよ」
インテルで最も美しい瞬間は?
「多くのトロフィーやタイトルだけでなく、ユースセクターと結びついたことは大きい。若い選手たちが成長していく姿を見るのは大きな喜びだ。もちろん、ディレクターというのはチームのスクデットを間近で見守ることが多い。その中でも一番といえば、ブランカのときだ。私は彼のそばで成長できた。コンテ時代には100%の貢献ができたと感じている」
最も誇らしい補強は?
「たくさんある。どれも素晴らしく、素敵な物語だ。ラウタロ・マルティネスのストーリーは特殊だね。アトレティコ・マドリー行きが決まりかけていて、飛行機に乗ってしまえば、もうチャンスは1%もなかった。クレイジーな4日間だった。幸いにもラウタロには、行使を望んでいない契約条項があったんだ。チームとしての仕事が結んだよ。サネッティが力を貸してくれて、ミリートはスポーツディレクターとしてラシンの厳格な会長と一緒だったね」
「最も複雑だった交渉はラウタロの一件で間違いない。ただ、パヴァールをバイエルン・ミュンヘンから連れてくるのも大変だった。あちらの監督もクラブも放出をしたがらなかったからだ。それでも、ギリギリのところでより明確になることはよくあるものだ」
これまでに逃した大きな魚は?
「それは思い出さない方が良いってものだよ。ただ、一人の名前を挙げさせてもらうと、ピエルルイジ・カジラギのことかな。私にとってスポーツの世界で第二の父と呼べる人で、誰よりも早く優れた選手を見つけてくる。16歳のセスク・ファブレガスを紹介していた。我々は獲得するために全力を尽くしたが、彼はバルセロナからアーセナルへ行ったね。ほかにも交渉をしていたけど別のクラブへ行った選手はたくさんいるよ」
ロメル・ルカクはキャリア最大の失望か
「失望は一つではない。その終わり方は残念だが、別のクラブの選手については話さない方がいいだろう。私は未来を見るのが好きだ。ルカクはインテルにとって過去で、私はこれから訪れる素晴らしいことに目を向けなければいけない」
一体何が起きたのか
「話さない方がいいんだ。言えることがあるとすれば、何事もリスペクトと礼儀が大事だということだ。ある段階でそれを欠くと、多くのことがうまくいかなくなるが、それでも向き合って話をすることで問題は回避できる。電話を拒否したり、別の人間を通して話をするとおかしくなる。まあ、7月8日で全て終わったことだ。その後の出来事に心から満足している」
ルカクだけでなく、ラザル・サマルジッチやミラン・シュクリニアルのこともあった。
「思い通りにいかなかったこともある。ただ、全て経験だ。そこから学ぶことがある」
あなたにほかのクラブから引き抜きはないのか
「あったよ。何年もいるからね。ただ、出て行きたいと思ったことがない。コンタクトはあったが、交渉という段階までいったことはない。このクラブを離れたいということがないからだ。それだけのつながりがある。私にとっては第二の家族だ。そこはほかのディレクターとは違う。会長がかわる中でも必要とし続けてもらえることには、感謝の気持ちでいっぱいだ」
有効期限は?
「私はまだ年金をもらえる年じゃないからね(笑)。そこまで先は見ていないが、いまは蘇寧グループととてもうまくいっているし、マロッタともバッチンとも非常に良い。(プリマヴェーラの責任者だった)サマデンが去ってしまったが、タランティーノがやってきた。優秀な人間にサポートしてもらっているし、スカウトたちも優秀だ。インテルにいるのは優れた人材ばかりだよ」
ジュゼッペ・マロッタCEOとアウジリオはどんなコンビ?
「美しいコンビと言わせてもらうよ。化学反応があるね。マロッタのクオリティーは突出していて、私は現場でそれを見てきた。彼は信頼して任せてくれる。そして私は、それをともに働く仲間に任せる。もちろん、そこに至るまでに話し合うが、決定する段階まで委ねられる。スポーツディレクターとして彼のそばで働けるのは幸運だ。私はほかにエネルギーを割くことなく自分の仕事に専念するためにCEOが必要なんだ」
ラウタロ・マルティネスとマルクス・テュラムのコンビは?
「美しいコンビさ。ただ、私は美しいカルテットと呼ぶ。いま注目されているのは彼らだが、マルコ・アルナウトビッチとアレクシス・サンチェスもいるからね」
マルクス・テュラムに最初に目をつけたのは?
「ルカクがチェルシーに売却されたときだった。ボルシア・メンヒェングラッドバッハでウイングをしていたね。そのときはセンターフォワードとは考えていなかった。ジェコを移籍金なしで獲得したが、もう1人FWが必要だったんだ。私は彼の父マルクスとすでに話していた。最高の代理人であるミノ・ライオラのおかげもあって交渉はかなり進んだ段階までいっていたが、ほぼ決まっていたところで負傷してしまって、ターゲットを変えることになった」
アンドレ・オナナからヤン・ゾマーへの変更
「2人は違うGKで、我々としては確実性が重要だった。ハンダノビッチの退団も決まっていたことだからだ。この機会にお伝えしておくと、サミルは今後も我々と仕事をすることになるはずだ。GKについては、すぐにゴールを任せられる確実な人材が欲しかった。資金を生み出す可能性のある若手も選択肢としてあり得たが、我々はゾマーが必要だった。彼は交渉中からすでにピッチ上で使うイタリア語について考えていたよ」
近年の移籍市場。代理人たちの要求は過剰なのか
「主観的なテーマだ。代理人と一括りにはしないよ。選手の利益だけのために働くプロフェッショナルもいるし、自分のことしか見ておらず、最終的な得を取れない代理人もいる。私はいろいろな人に会う中で、あまり評価できない人もいれば、信頼を置いている人もいる。選手へのアドバイスにも耳を傾ける。これも経験だ」
メディアにあまり出ないのは選択なのか?
「それは選択ではない。私はこれが好きなんだ。いろいろな仕事があり、インテルでコミュニケーションを担当するのはスポーツディレクターではない。私の仕事はメルカートであり、選手であり、人事だ。コミュニケーションの方はよりクラブ全体のことを見渡しているCEOが適任だね。機会があれば喜んで話す。たまにはいいね」
シモーネ・インザーギ監督
「天才的だし、謙虚だし、それでいて怠け者なところもあるね。カルチョ界で最も感じの良い人物の一人だ。ただ、彼には独自のルーティンがあるね。私は多くの優れた監督をみてきた。スパレッティやコンテ、ピオリにマンチーニといった名前を見れば分かるだろう。ただ、彼は天才だ。若くしてインテルにやってきた。才能豊かで、質が高い。チームはとても良いし、そのグループをつくった。結果が伴わないときも、ピッチでともに戦いたいという意欲を植えつけている。彼は本当によくやっている」
昨季は監督解任間近だったのでは?
「そんなことはない。チャン会長にもマロッタにも、その文化がない。もちろん苦境にいることは我々も自覚していた。ただ、ともに支え合って乗り越える強さがあった。我々はそうやってきたんだ。そしてチャンピオンズリーグ決勝までたどり着いた。解任はまったく検討しなかったよ」
スティーブン・チャン会長は?
「彼がどんな人物かは別の考え方があるだろう。会長はカルチョのテクニカルな面について詳しいわけではない。ただ、だからこそディレクターや監督に委ねてくれる。非常に大きな情熱で、常に情報を伝えてくれる。いつも、昼夜問わず試合を見ているし、我々に落ち着きと冷静さを与えてくれる。我々が過ちを犯しても叱責するようなことはない。例えば、シュクリニアルのケースなんかでは、ほかの人がトップだったら別のリアクションがあったかもしれない。会長はすぐに別の角度から見てアイディアをくれる。すぐに代役はどうしようかという話にもっていけるところは、起業家としての広い視野がなせるわざなのだと感じるね」