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アタランタと別れの理由を赤裸々に明かすパプ・ゴメス「真実を知るとき」。ガスペリーニは反論

パプ・ゴメスが、今年1月に長く過ごしたアタランタから去った理由を明かした。

アタランタを去ってから約半年。アレハンドロ・ゴメスが、突然の別れについて明かしている。アルゼンチン『La Nacion』に対するコメントを『スカイ』などが取り上げた。

2010年からカターニアでプレーしていたパプ・ゴメスは、2014年にアタランタに加入。チームの中心選手として活躍していた。

しかし、昨年末にジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督との関係悪化が報じられると、最終的にセビージャへの移籍が決まった。

12月に移籍を示唆したパプ・ゴメス

「もう監督とはやれない」。そのきっかけは…

当時の出来事を振り返り、パプ・ゴメスが次のように語っている。

「監督からの謝罪を待っていたけど、それがくることはなかった。だから移籍しなければいけなかったんだ」

「チャンピオンズリーグのミッティラン戦で間違いを犯した。戦術的な理由でガスペリーニから右でプレーすることを求められたけど、僕は左でのプレーがうまくいった。それについてノーと言われたんだ。ハーフタイムに代えられるのは普通のことだったよ」

「でも、ロッカールームでその後に続いたことは度を越えていた。僕のことを攻撃しようとした。衝突するのは構わない。でも、物理的な攻撃は耐えられない。だから(会長のアントニオ・)ペルカッシに会って話をした」

「カピターノとして、僕は良くない態度だった。チームの悪いお手本になってしまった。それを認めるのと同時に、監督に選手に対して、手を出したことについて謝罪するよう会長に言ってもらいたかった」

「翌日ミーティングがあって、チームのみんなに僕は謝罪した。でも、ガスペリーニは何もしなかった。これをどう解釈すればいいだろう。僕は間違えたけど、監督は違うということなのか。そう思って、そこから全て始まったんだ」

「数日後にペルカッシのところへ行って、もうガスペリーニとは仕事ができないと伝えた。彼は君を手放さないと言ったけど、そこから綱引きが始まって、結局出ていくのは僕になった。リザーブチームでプレーさせられて、アタランタを出ていくことになったね」

「僕はクラブに7年間を捧げたけど、ひどい捨てられ方をした。会長は僕に謝罪するように監督に言えなかった。そんな中でアメリカとサウジアラビアからオファーがあり、クラブはイタリア国内に売るのを嫌った。ライバルを強化したくないからだね。でも、僕は受け入れたくなかった。セリエAでトップレベルのMFという自負があったからだ。そうしたら、幸運にもセビージャからオファーをもらった」

ミランやインテルへの移籍も噂された

「何が残念だったかと言えば、長く一緒に戦って素晴らしい時間を共にし、信頼を築いたオーナーが、僕を捨てて傷つけたということだ。財政的な理由だろう。クラブは、ガスペリーニがヨーロッパで有数の監督だと分かっている。チームの価値を高めて付加価値をもたらし、選手をより高く売れるということを分かっている。結局彼が多くのお金をクラブにもたらす。だから、彼と進むことを選んだんだ」

「人々は、何が起こったのかを知らない。今になってようやく認識している。みんなは真実を知るのに値する。ある日から、僕は死んだみたいだった。記者たちは僕についての質問をやめ、チームメートに質問するのもやめた。アタランタから僕が存在しなくなったみたいになったね。むこうの意図は、全て僕のせいだということにしたかったんだと思う。でも、それは真実ではない。おそらく、みんなは僕に腹を立てていることだろう。アタランタで続けたくないという印象を与えただろうからね。もしくは、お金のためにセビージャへ行ったと思われているかもしれない。でもそうじゃない。ティフォージは真実を知るときだ」

ガスペリーニは反論「攻撃は彼が…」

この発言に対して、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』がガスペリーニ監督のコメントを紹介している。

「彼の姿勢はピッチの内外で受け入れがたいものとなっていた。それは私にとっても、チームメートにとってもだ」

「物理的な攻撃というのは、私がではなく彼が、だ。ただ、アタランタを去った一番の理由は、彼がオーナー陣に対する敬意を失ったからだろう」

「ゴメスがアタランタで見せたパフォーマンスについて、これからも語り継がれていくことを願う」

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