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34年ぶりのセリエA昇格——ピサSC昇格が映す、“知とカルチョ”の街ピサ

ピッポ・インザーギと歩んだ2024/25シーズン昇格の軌跡

「斜塔の街ピサ」に拠点を置くピサSCは、2023/24シーズンのセリエBを13位で終えたあと、アルベルト・アクイラーニ監督を解任し、フィリッポ・インザーギを新監督に迎えて2024/25シーズンをスタートさせた。

チームは好スタートを切り、シーズン初戦のコッパ・イタリアのフロジノーネ戦で勝利を収めると、セリエBでは開幕戦でスペツィアに2-2で引き分けたあと5連勝を飾り、一時は首位に立つ。

11月にはカッラレーゼとのダービーマッチを0-1で落として首位をサッスオーロに譲り、苦しい時期を過ごしたが、年末に立て直しに成功。12月26日のホーム戦でサッスオーロを3-1で撃破し、再び上昇気流に乗った。

シーズン後半戦はサッスオーロとともに勝ち点を積み上げた。一時はスペツィアと勝ち点3差に迫られたが、昇格プレーオフ圏内を争うライバルたちがつまずく中で着実にポイントを重ね、シーズン残り4試合で3位との勝ち点差は9となると、5月4日の第37節では敵地でバーリに敗れたものの、同日の試合でスペツィアがレッジャーナに敗れたため、ピサは34年ぶりのセリエA昇格を決めた。

注目選手:昇格を支えた主役たち——ピサSCのキーマンを読む

多くの選手が活躍を見せた2024/25シーズンのピサにおいて、特に高く評価されているのがマッテオ・トラモーニである。トレクァルティスタを主戦場とし、ケガによる離脱もありながらリーグ戦26試合に出場して13得点を挙げ、セリエB得点ランキングで5位に入った。

2024年夏にデンマークのシルケボーから加入したアレクサンデル・リンドも印象的な働きを見せた。2024/25シーズンに8得点5アシストを記録した大型FWであり、22歳という若さからもさらなる飛躍が噂されている。

守備陣では、元U-21イタリア代表のシモーネ・カネストレッリが36試合に出場し大黒柱として君臨した。この1年で『transfermarkt』における市場価値が180万ユーロから700万ユーロへと急上昇している。セリエAでの経験を持つアントニオ・カラッチョーロの隣では、アタランタからレンタルで加入していたジョヴァンニ・ボンファンティも実戦経験を重ねた。

左ウイングバックのレギュラーを務めたサムエレ・アンゴリも忘れてはならない存在である。21歳の若手で、日本のアニメ、特にONE PIECEに夢中になっているという一面もあり、ピッチ内外で注目を集める成長株である。

なお、ピサがセリエAに昇格するのは34年ぶりとなる。前回は前季2位で昇格したものの、シーズン序盤から歯車がかみ合わずに苦戦し、最終的に16位で降格している。当時の所属選手には、キャリア初期のディエゴ・シメオネが名を連ねており、シーズン途中に解任されたが、ミルチェア・ルチェスクがテクニカルディレクターを務めていたことも特筆される。

斜塔だけじゃない、ピサってどんな街?

トスカーナ州にあるピサは、州都フィレンツェから西へ電車で約1時間の距離にある人口約9万人の街。「ピサの斜塔」はあまりにも有名な観光地で、斜塔前の広場は、常に多言語が飛び交い、記念撮影を試みる観光客で賑わっている。

しかし、斜塔の街としての知名度が高すぎる弊害と言うべきか。観光地以外のピサについて語られる機会は多くない。そこで今回は、サッカークラブ・ピサSCの背景としても重要な、この街の本質に迫ってみたい。

フィレンツェへの反骨心? ピサの歴史

ピサは中世において「ピサ共和国」として繁栄した、イタリア四大海洋共和国のひとつである(他はヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィ)。地中海貿易を背景に強大な海軍力を誇ったが、1284年の「メロリアの海戦」で宿敵ジェノヴァに大敗を喫し、以後衰退の道をたどる。1406年にフィレンツェ共和国に吸収される形で支配された。

この歴史的経緯から、現在でもピサにはフィレンツェに対する文化的な反骨心が根強く残っているとされる。訪れるだけでは感じ取ることは難しいが、地元民のアイデンティティとして確かに存在している(らしい)。

トスカーナ州におけるピサの存在感は、芸術と観光の都フィレンツェ、ワイン・オリーブと丘陵の町シエナとはまた異なる。「知の街」としての立ち位置が、ピサの最も特徴的な側面である。

ピサ共和国時代に創設されたピサ大学は、イタリアでも最も歴史ある大学の一つ。「天文学の父」ガリレオ・ガリレイの学び、のちに教鞭をとったことで有名で、「知のピサ」の象徴的な存在だ。ピサSCのスポーツディレクターであるダニエレ・フォッジャもピサ大学の出身であり、クラブの知的路線と街の文脈が地続きであることを示している。

ピサSCのスポンサーから見る、トスカーナの“見えない知”

「トスカーナの原風景」——。生成AIにそう依頼すると、冒頭のような画像が返ってきた。フィレンツェのミケランジェロ広場やボーボリ庭園、ワインとオリーブに彩られた丘陵地帯、シエナの牧歌的な風景など、多くの人が思い浮かべるのは“芸術的な緑”や“実りとしての緑”だろう。

HTS:ピサの“緑”、足元を支える地元企業

その一方で、「ピサの知」が支える“緑”も存在する。たとえば、ピサSCのスポンサー企業「HTS ヴェルデ・スポルティーヴォ」は、芝生の設置・管理および緑地整備を専門とする企業で、ピサに本社を構えている。同社はピサSCの本拠地「チェティラル・アレーナ」の芝生をはじめ、エンポリ、カタンザーロ、コゼンツァなど、複数クラブのスタジアム芝を手がけている。

また、「ピサの斜塔」前の広場の芝管理も任されており、地元の産業や観光資源とも密接につながっている。公式サイトによれば、HTSはピサ大学および米・オクラホマ州立大学と連携し、芝の品種や性能の研究を重ねているとのこと。ここにも、ピサ大学の「知」が確かに活きている。

Cetilar:アスリートを支える“科学”の力

ピサSCのメインスポンサーを務める「Cetilar」も、ピサを拠点とする企業だ。製薬・栄養補助食品を手がけるイタリア企業「PharmaNutra」の関節ケア・筋肉回復用ブランドであり、プロサイクリング界ではジロ・デ・イタリアに出場するチームの補給サポートでも知られる存在だ。

ピサSCの活動を通して見えてくるのは、観光都市としてのピサだけではなく、大学の知見を礎に地元から生まれた企業が「科学」や「技術」でスポーツと地域を支える姿。ここにも、フィレンツェやシエナとは異なる、ピサ独自の“トスカーナの風景”が広がっている。

地元に根ざす味わい:ピサのオリーブ、チーズ、そして幻の白トリュフ

トスカーナっぽくないオリーブオイル?

シエナやフィレンツェほどの規模ではないものの、やはりピサもトスカーナ州の一部ということで、オリーブ栽培が盛んだ。

内陸の丘陵地で寒暖差があるシエナは、いわゆるトスカーナらしいピリッと辛いオリーブオイルが多く、観光地のフィレンツェへ行くと少しバランスを取り、適度な辛味・苦味に加えて、マイルドになると傾向があると言われる。ただ、フィレンツェは世界的にもブランド力があるため、品質は高いものの、高級になりがちだ。

そんな中、ピサ郊外のブーティは、トスカーナ州中では中規模な生産地で、農協や家族経営の比較的小さな農園が点在している。海に近く比較的平坦な地形で、フルーティーでマイルドな味わいとされる。跡継ぎ問題は絶えず休耕地が増えているそうだが、質の高さには定評があり、IGP(地理的表示保護)「Toscano」認証を受けている。フィレンツェ産ほどのブランド力もないため、知る人ぞ知る、高品質ながらもコストパフォーマンスに優れているオリーブオイル生産地とされる。

地元ワインと合うチーズ

ピサ県南部のヴォルテッラ周辺で作られるペコリーノ(羊乳チーズ/ Pecorino delle Balze Volterrane PDO)チーズも有名。地元の羊が半放牧され、その乳がもつ独特の風味は古来から名前が知られている。フレッシュから超熟成「da asserbo」まで熟成段階ごとのバリエーションも豊かで、地元のトスカーナ赤ワインとの相性にも優れている。

地元の畜産はピサ大学農学部とも連携し、ピサの知は風土と結びつき、食にもなる。

保護活動が続けられる希少牛:ピサ牛

ピサ牛(Mucca Pisana)も忘れてはいけない。在来種として保護活動が続けられる希少な肉牛。一時は絶滅の危機に瀕した品種で一般的に消費されることはほぼないが、赤身が多くヘルシーとされている。アグリツーリズムなど、地元で消費されることがほとんど。ピサの知によって保存されている食の文化と言っていい。

サン・ミニアート白トリュフ:「幻の地中の宝石」

ピサ県東部のサン・ミニアートは、世界でも有数の白トリュフの産地として知られる。伝統的なトリュフ犬による採取文化も有名。サッカークラブ基点でいえば、距離的にはピサSCよりもエンポリが近いが、ピサ県東部に眠る高級感ある希少な土の恵みだ。

まとめ:ピサSCから見える“知とカルチョ”の可能性

ピサSCの34年ぶりのセリエA昇格は、単なるサッカーの快挙ではない。選手と監督の奮闘に加え、地元企業によるスポンサーシップ、大学や地域産業とのつながり――。ピサという街が育んできた「知」と「地」の融合が、クラブの歩みに独自の深みを与えている。

ピサは斜塔の街として知られる一方で、トスカーナの中でもひときわ異彩を放つ都市だ。フィレンツェでもシエナでもなく、ピサだからこそ語れるカルチョと文化の交差点がある。

昇格を果たした今、“知の街”ピサは、カルチョと文化の融合によって、地域に新たな光を当てようとしている。ピサSCの物語は、地元の産業や伝統文化への関心を呼び起こす契機でもある。カルチョと知、風土と技術が響き合うこの街が、今後どんな波紋を広げていくのか。ピサの次なる一歩に、注目したい。

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